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21回目になりました、今回は神奈川県の小田原城です。
平山城で、別称は小早川(こばやかわ)城。
2006年に「日本100名城」(第23番)に選定されています。
まず、いつものように歴史から。
小田原城は、東海道筋の関東入口の要衝を占めた堅城であり、戦国時代の関東を代表する名城です。
15世紀の中頃大森氏が築いたと考えられていますが、城の存在がはっきりするのは明応4年(1495)北条早雲(ほうじょう そううん)が奪取し、整備・拡張してからのこと。
城は箱根外輪山から延びる舌状台地の先端部を中心にして同心円状に拡張され、一時は城郭都市ともいうべき規模を誇っていました。
永禄4年(1561)に上杉謙信、同12年に武田信玄の攻撃を受けますが、二度とも籠城して退けた難攻不落の城です。
北条氏5代約100年にわたる関東制覇の本拠地でした。
その後、豊臣秀吉の来襲に備えて、濠と土塁により城下町をも含む総延長10kmにも及ぶ大規模な総構えが構築。
天正18年(1590)20万あまりの秀吉軍の大包囲によって攻撃されます。
しかし、過去の二度の籠城戦の成功例に固執してしまったのですね。
その結果、いわゆる「小田原評定」をしている間に、関東一円の北条の支城はことごとく落城してしまいます。
八王子城が落城すると、北条氏直(うじなお)は籠城100日もむなしく秀吉に投降、城を開城しました。
その後、徳川の譜代大名の大久保氏によって近世城郭として整備されます。
幕府の直轄となったあとは廃城令で取り壊されるまで、何度も地震の被害にあいました。
最後まで残っていた石垣も、関東大震災でほぼ全壊しています。
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新幹線の車窓から見ることが出来る天守は幾つかあります。
小田原城もその1つですね。
東京を出て、しばらくすると左側の小高い樹木の間に真っ白なヨーロッパの城ような立派な天守が見えてきます。
小田原城で思い出すのは、前述したいわゆる「小田原評定」ですね。
籠城するか、箱根に出撃して野戦をするか、議論を戦わしてばかりで結論がでないままで時間が過ぎてゆき、気が付けば周りは敵だらけとなってしまった!
過去の成功経験に捕らわれた馬鹿な役職者ばかりの会議ですね。
現職の頃を思い出します。つらーい。
しかし江戸初期に大地震で倒壊、その後三重の天守が再建されましたがまたもや地震で炎上、まだまだ頑張って再建されるも明治の廃城令で取り壊されました。
現在の天守は、昭和35年(1960)に小田原市制20周年の記念として復興されたもの。
宝永3年(1706)に再建された天守の雛型や絵図を基にしてのことでした。
三重四階の天守に多聞櫓、続櫓、最上階に廻縁をつけた層塔型複合式天守で、白漆喰総塗籠の天守、いわゆる「白い城」です。
一重目に入母屋破風と切妻破風の出窓、二重目に比翼千鳥破風と軒唐破風、三重目に軒唐破風が付いた美しい天守!
丸岡城と同じように入口へと真直ぐ登る石段が付いています。
珍しいですね。
城郭は梯郭式縄張りです。
二の丸北東隅の平櫓は大正12年(1923)年まで現存していましたが、同年の関東大震災で惜しくも倒壊、昭和9年(1934)に再建されました。
江戸時代のものより一回り小さいらしいです。
馬屋曲輪から二の丸への入口である住吉橋を渡ると土塀に囲まれた壮大なスケールの桝形があり、左に銅(あかがね)門と呼ばれる渡櫓門が平成9年(1997)に再建されました。
扉が銅板で装飾されていたことから銅門と名付けられたようです。
二の丸の広場から上がって橋を渡ると常磐木(ときわぎ)門があります。
この門は、本丸に入る正門で、渡櫓門、多聞櫓、冠木門、桝形からなっていまして、昭和45年(1971)に復元されました。
平成27年(2015)に天守閣は大規模な改修工事が行われ、翌平成28年(2016)の5月にリニューアルオープンしています。
また、平成31年(2019)の4月に風魔忍者をテーマにした「NINJA館」がオープンしました。
大人も子供も楽しめる施設ですよ。
小田原城は花の名所でもありますので、コロナが落ち着いたらお出かけしてみてはいかがでしょうか。
「日本さくら名所100選」に選定されています。
絶景は360度!
小田原市では景観を大切にするため、平成18年(2006)に天守を超える高さの建物の建築を制限しています。
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豊臣秀吉は天正18年(1590)天下統一の最後の障害になった北条氏を攻撃します。
そのため、小田原城の西南にある標高260mの石垣(笠懸かさがけ)山に、秘密裏に石垣山(一夜)城を築きます。
城が完成すると早朝に前面の木が切り倒され、突然石垣造りの城の天守が出現したのですね。
そのときには、小田原城に籠城していた北条軍や城下町の人々はもう戦う意志を無くしてしまったのではないでしょうか。
余談になりますが、秀吉は一緒にいた家康と小田原城に向かって、並んで立ち小便をしたそうです。
これが「関東の連れション」のはじまりだと言われています。
その時に「あの城を落としたら、関八州はお前にやろう」と言って、家康にさりげなく(そして露骨に)「関東国替え」を申し渡したという話は余りにも有名です。
家康は小田原城攻めの時、三河、遠江、駿河、甲斐、信濃の五カ国の大大名でした。
それをすべて取り上げられ、京都から遠い北条の領国を治めることになるのは理不尽なことですが、逆らえません。
しかし、結局はそれが天下を治めるには幸いしました。
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城跡は現在小田原城址公園として整備されています。
中に小田原城歴史見聞館があり、小田原城のはじまりから現在までの歴史を小田原城模型や映像で展示していますよ。
↓小田原城の公式ホームページです。園内マップや施設一覧もありますよ。
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*小田原城詳細
・住所:神奈川県小田原市城内6-1
・アクセス:小田原駅から徒歩10分
・営業時間:9:00~17:00
・休業日:12月第2水曜日、12月31日、1月1日
【参考文献】
平井 聖監修『城 2 関東 もののふ集う東国の城』(毎日新聞社 平成9年2月25日発行)、財団法人日本城郭協会監修『日本100名城公式ガイドブック』(学習研究社 2007年7月3日第1刷発行)、中井均監修『超雑学 読んだら話したくなる 日本の城』(日本実業出版社 2010年6月20日発行)、『城と城下町 東の旅』(日本通信教育連盟)他
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