10回目ですね、今回は宮崎県の飫肥城(おびじょう)です。
飫肥城は飫肥市街北部の丘にいくつも曲輪を並べた平山城で、別称は舞鶴城。
2006年に「日本100名城」(第96番)に選定されています。
伊東四十八城の1つで、NHK連続テレビ小説「わかば」のロケ地にもなっていますね。
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飫肥城には、2000年5月25日に登城しました。
飫肥城は、日向と大隅国境の要衝の地にあるため、15世紀頃から薩摩の島津氏と日向の伊東氏が、戦国史に残る80年余の激しく長い攻防戦を展開した城です。
戦国時代の伊東義祐(よしすけ)は島津氏より城を奪ったものの、再び島津氏に敗れて流浪の身となります。
その後、九州征伐の功により天正15年(1587)に豊臣秀吉から改めて飫肥城を与えられた伊東祐兵(すけたけ)、二代目の祐慶(すけのり)の代に城郭はほぼ整えられました。
伊東祐兵は、家康が命じた江戸城、名古屋城などの天下普請に参加して当時の最先端築城術を身につけ、慶長末年(1614頃)に築きました。
飫肥城のみごとな石垣や敵を寄せ付けない様々な縄張り上の工夫は、こうして生まれたようです。
飫肥城は貞亨元年(1864)に大地震で被害を受けましたが、その後大規模な修築をし、近世城郭へ変貌しました。
飫肥城の大手櫓門は、昭和53年に復元されました。元禄年間(1688~1704)に築かれた桝形門の石垣の遺構の上に、江戸時代の渡櫓門を復元したものです。
こちらは樹齢100年以上の飫肥杉を使って作られています。
また、翌年松尾の丸御殿が再建されました。
城跡の上ノ段の中心部中ノ丸(通称本丸)は飫肥小学校敷地、一部は飫肥中学校敷地となっていますが、主要部の石垣や土塁、空堀がよく残っていますよ。
飫肥城は多数の曲輪からなる中世城郭の面影を残している城。
江戸時代に修築された大手口と中ノ丸付近のみに、石垣が築かれています。
現在は、大手門と松尾の丸御殿が復興済みです。
かつて御殿があった中ノ丸には小学校がありますので、御殿は松尾の丸に建てられています。
下の段には旧藩校振徳堂の長屋門と母屋が現存していますよ。
城下町飫肥は九州の小京都として旅行者に人気の高い町で、今も江戸時代の町割りがよく残されています。
武家屋敷が多いのが特徴で、しかも近郷で産出する飫肥石と呼ばれる凝灰岩を使った石垣が、飫肥ならではの景観をつくりだしています。
横馬場通りの上級武家屋敷を代表とし、八幡馬場通りなど城下のあちこちに古いたたずまいの武家屋敷が見られ、素敵な街となっています。
屋敷の石垣は切込接の布積です。
付近には明治初年の旧藩主伊東家邸宅(予章館)と庭園もあり、歴史散策が楽しめますよ。
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私は飫肥城を訪れる前日、5月24日には西南戦争の銃痕が石垣に残る鹿児島城址を探訪しました。
そして25日は綾城(宮崎県)を探訪してから飫肥城へ。
綾城は、昭和60年に戦国時代初期の城楼建造物として建てられた三重三階の古式天守形式のお城です。
飫肥城探訪後、タクシーで宮崎空港に向かう途中、偶然山上にある城を目にしました。気になったので行ってみると、そこは天ヶ城という城でした。
私の知らない城でしたが四重四階の模擬天守であり、宮崎市天ヶ崎歴史民俗資料館でした。
途中で気軽に立ち寄れるのも、一人旅のよいところですね。
*飫肥城詳細
住所:宮崎県日南市飫肥大手
アクセス:飫肥駅から徒歩で10分
営業時間:9:30~16:30
休業日:12月29日~12月31日
【参考文献】
平井 聖監修『8 九州・沖縄 火燃ゆる強者どもの城』(毎日新聞社 平成8年10月25日発行)、財団法人日本城郭協会監修『日本100名城公式ガイドブック』(学習研究社 2007年7月3日第1刷発行)、『城と城下町 西の旅』(日本通信教育連盟)、『城 其ノ三』及び『同 解説編』(日本通信教育連盟)他