日本のお城が大好きだと叫びたい人の雑記

とにかくお城が好き!日本のお城のアレコレを好き勝手に書きます。※当ブログはアフィリエイト活動を行っています。

気ままにぶらっと城跡へ㉘岡豊城へ行ってきた

岡豊城址

「気ままにぶらっと城跡へ」の第28回目は、高知県南国市にある岡豊(おこう)城を紹介します。

四国をほぼ平定した長宗我部元親(ちょうそかべ もとちか)の本城で、四国の戦国期城郭を代表する城址です。

高知県にある岡豊城へは、私が住む大阪からはなかなか「気ままにぶらっと」行くわけにはいかない城址です。

しかしですね、私はお遍路をしております。

2024年も6月2日から、高知県香南市にある第28番札所大日寺をスタートし、愛媛県西予市にある第43番札所明石寺までの16カ寺を巡拝してきました。

岡豊城址は、その巡拝の途上の、第29番札所国分寺から第30番札所善楽寺に向かう途中にあります。

国分寺を出て、1.6kmのところからの遍路道が、岡豊城址のある岡豊山南麓をぐるっと廻っているのですね。

そこでこれはチャンスと思い、巡拝途中の6月2日に「気ままにぶらっと城跡へ」行ってきました!

岡豊城は「続日本100名城」(第180番)に選定、国の史跡にも選定されています。

私個人では、岡豊城へ2008年8月27日に初攻城していました。

 

高知県立歴史民俗資料館前に立てられている幟、長宗我部家の家紋カタバミ

岡豊城築城の明確な時期は不明ですが、南北朝時代初期の頃と推定されています。

15世紀頃から、長宗我部家代々の居城でした。

永正6年(1509)、長宗我部元秀(兼序 かねつぐ)の時代に、土佐の中央部を治めていた本山茂宗に攻められ落城。

元秀は戦死しましたが、その子の国親(くにちか 元親の父)はからくも脱出して生き延びます。

永正15年に国親は本山氏と和睦し、岡豊城に戻りました。

岡豊城で出生した元親は、父の急死、後家督を継いで岡豊城の城主となります。

岡豊城址に設置されている長宗我部元親飛翔之像

長宗我部家は、もともとは土佐七雄と呼ばれた有力国人のひとりでしたが、元親は、岡豊城を拠点につぎつぎにまわりの国人を倒していきます。

永禄11年(1568)に宿敵であった本山氏を破り、天正2年(1574)には土佐国西の端中村の公家一条家を謀略により追放しています。

そして、翌年ついに土佐を統一しました。

少ない兵力を補うために、平時は農民として生活、有事には槍を持って戦場に行く在野武士の「一領具足(いちりょうぐそく)」を作り、阿波、讃岐、伊予に侵攻。

天正13年には四国をほぼ平定します。

しかし、四国統一直前、羽柴秀吉の四国攻めの前にやむなく秀吉に臣従。

攻め取った阿波、讃岐、伊予を放棄させられましたが、土佐一国は安堵されました。

天正16年には土佐国の中央に大高坂(おおたかさか)城を築こうとしましたが、度重なる洪水のために断念しています。

天正19年に浦戸城を築城して居城を移し、岡豊城は廃城となりました。

 

豊山(岡豊城址の説明パネルより)

岡豊城は、岡豊山山頂に、詰(=本丸)、そしてその北東部に堀切で隔てられた二ノ段を置いていました。

詰の西から南東部にかけた三ノ段が帯状に囲み、喰違虎口を設けた四ノ段を中心とした主郭部と、南側に伝厩(うまや)跡曲輪、さらに西に伝家老屋敷曲輪の二カ所を副郭とした連郭式縄張の城郭でした。

曲輪は土塁が廻らされ、斜面には竪堀が多く造られている堅城です。

岡豊城の南麓は国分川が流れ、湿地帯となっていた天然の防御施設となっています。

「岡豊城跡想像復元図」(「国史跡 岡豊城 ふらり散策綴り」より)

県立歴史民俗資料館に展示されている岡豊城ジオラマ

岡豊城は標高97mの岡豊山に築かれた山城で、石垣や土塁、空堀などが遺構として残っています。

城跡は、昭和60年(1985)から平成2年まで発掘調査が行われ、縄張りや地下遺構の状況が明らかになりました。

主郭部分が発掘調査に基づいて平面復元展示されていますよ。

現在は、岡豊山歴史公園として整備されています。

建物や堀切などの遺構が出土状態のまま保存されたとても良い城址です。

また、中腹に立派な高知県立歴史民俗資料館が建てられていて、長宗我部家や岡豊城などが学べます。

できれば城跡探訪の前に資料館に入り、岡豊城の概略を学んでからの城址訪問がおすすめです。

第29番札所国分寺から田んぼのなかの遍路道を歩く

なぜか次の札所までの距離ではなく、岡豊城跡までの距離が記されていました。

これで、迷うことなく城跡へは行けましたが、本来の遍路用道標があるべきはずです。

遍路道から少し外れたところにある登城口 結構な登りの坂道

横堀

詰 礎石建物跡、石敷遺構(復元)

「詰」の説明板

四ノ段虎口

三ノ段 礎石建物跡、石敷遺構(復元)

 

伝厩跡曲輪   展望台

展望台からの眺望 お遍路さんが休憩していました

詰からの眺望

天正19年に、元親は浦戸城を築城して居城を移しました。

高知市の有名な観光地である桂浜のすぐ近くです。

海辺に突き出した岬の上に、南側は太平洋、東は浦戸湾、北には港がある要害の地ですね。

浦戸城には、1998年7月18日に攻城しました。

景勝地桂浜 龍王岬にある海津見神社 by:photo-ac

浦戸城址は、右側の龍王岬の上に上がっていったところにある、坂本龍馬記念館の前にあります。

浦戸城碑

元親のあとを継いだ盛親は、慶長5年(1600)の関ヶ原の戦いで西軍につき敗北。

土佐24万石は掛川山内一豊が入封し、浦戸城の受け取りは井伊直政が命じられたとのことです。

山内一豊は、慶長6年、大高坂山に新たに近世城郭としての高知城を築城、山内家16代で明治を迎えます。

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(写真は、「by:photo-ac」の注記以外のものは筆者撮影)

 

*岡豊(おこう)城詳細

・住所:高知県南国市岡豊町八幡1099

・アクセス:とさでん交通路線バス、南国オフィスパーク、領石、田井方面行き(G5〜9)で約30分 / バス停「学校分岐(歴史館入口)」下車、徒歩15分で資料館着

・営業時間:24時間 / 資料館は9:00〜17:00

・休業日:なし / 資料館は年末年始(そのほか、臨時休館日あり)

 

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【参考文献】
平井聖監修『城 7 四国 黒潮寄せる南海の城』(毎日新聞社 平成9年1月
25日発行)、公益財団法人日本城郭協会監修『続日本100名城公式ガイドブック』
(学研プラス 2018年5月7日 第6刷発行)、小和田哲男監修『ビジュアル・
ワイド 日本の城』(小学館 2005年3月20日第1版第1刷発行)、他 

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