日本のお城が大好きだと叫びたい人の雑記

とにかくお城が好き!日本のお城のアレコレを好き勝手に書いていきます

【特別企画・城下町を歩く】福井県の一乗谷

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一乗谷朝倉館跡唐門    by:photo-ac

今回は特別企画として、城下町の探訪記事です。

福井県一乗谷を、お城ブログの著者・花ちゃんが歩いてきました。

 

一乗谷朝倉氏遺跡を初めて訪れたのは、24年前の1998年6月12日、福井市に出張したついででした。

JR越美北(えつみほく)線一乗谷駅は駅舎のない無人駅で、タクシーはもちろんコンビニも人の姿もなく、あるのは田んぼだけ。

革靴にスーツ姿で、駅からひたすら歩いて行った懐かしい思い出です。

下城戸まで20分余りは歩きましたね。

そんな懐かしい一乗谷へ、また行くことにしました。

今回(2022年9月6日)は、福井駅8時発の京福バスです。

前日福井駅前の観光案内所に行くと、現在キャンペーン中だとのこと。

福井駅と遺跡間の往復切符が、なんと450円だと教えてくださったんです!!

片道のバス代だけで600円を超えるというのにですよ。

やったー!

というわけで、充分な熱中症対策をして、ワクワクしながら行ってきました。

今回も山上の城址には行きませんでしたが、3時間余り一乗谷遺跡を楽しみながら、ゆっくりと歩いて探訪しました。

ちなみに、一乗谷城日本100名城(第37番)に選定されています。

朝倉氏家紋の付いた兜     by:photo-ac

応仁の乱のさなか、一乗谷初代の朝倉孝景(たかかげ)は、文明3年(1471)に主家で越前守護の斯波(しば)氏の実権を奪って越前一国を手に入れました。

越前守護に任ぜられ、一乗谷に城を築きます。

一乗谷城ですね。

足羽(あすわ)川の支流・一乗谷川沿いの山頂に、山城として建築しました。

一乗谷は三方に山を控え、下流に向かう北側だけがわずかに開けた狭隘な谷間の天然の要害です。

孝景は、この地を越前統治の中心地とし城下町を造ります。

以後5代100年もの間朝倉氏は栄え、京や奈良から多くの公家、学者、僧などの文化人が一乗谷を訪れています。

ここは、越前の文化や経済の中心地だったのですね。

一乗谷の守りは強固。

中央部に広大な居館、その背後の山上に詰城としての一乗谷城、西の東郷槙山城、北の成願寺城、南の三峰城、尾根に見張り台などが配置されていたのです。

一乗谷城は、473mの一乗城山山上に築かれており、一の丸、二の丸、三の丸の曲輪が連郭式に配され、千畳敷、観音屋敷、宿直(とのい)、不動清水などの御殿群がありました。

竪堀や堀切などで強固に守られていました。

復元町並休憩所の展示パネルより

城下には家臣団の屋敷や寺院・町屋などが建ち並び、京都を凌ぐほどでした。

人口もなんと、1万人を超えていたといいます。

5代の義景(よしかげ)は、自分を頼ってきた後に15代将軍となる足利義昭(よしあき)を迎え歓待しますが、義昭を奉じて京都に行くことはありませんでした。

しかし、天正元年(1573)に織田信長との戦いに負け自刃。

これによって、戦国大名・朝倉氏は滅亡します。

義景が救援を求めた平泉寺衆徒が、逆に館や城下に火をかけます。

その火は一乗谷の家々を焼き尽くし、3日3晩燃え続けたといわれます。

越前朝倉氏の滅亡とともにすべてが炎上し、灰燼に帰しました。

その後、一乗谷は荒れ果て、畑などになり、約400年の間地下に眠っていました。

下城戸にある石碑と一乗谷朝倉氏遺跡の説明板

昭和42年(1967)に始まった本格的な朝倉氏遺跡発掘調査の結果、朝倉氏の居館をはじめ、城下の武家屋敷、町屋、道路などがほぼ完全な形で発掘されました。

また、ベネチア製のガラスのゴブレットや将棋の駒など多くの出土品があり、当時の華やかな生活ぶりが遺物からも証明されています。

地面の下からかつての町並みが蘇がえり、「日本のポンペイ」ともいわれるようになりました。

昭和56年には、県立朝倉氏遺跡史料館が開館。

現在、「復元町並」として町屋、武家屋敷などが実物大で復元公開され、当時の繁栄ぶりが偲ばれるようになっています。

一乗谷の城下町は上城戸(かみのきど)と下城戸(しもきど)によって仕切られ、敵が城下町へ入ってくるのを防ぐ土塁となっています。

二つの城戸に挟まれた約1.7Km、幅約500mの細長い城下町が「城戸(きど)ノ内」と呼ばれるエリアです

それでは、先ず上城戸から探索しましょう。

上城戸跡の土塁

上城戸は、城下町の正門になります。

福井の方から攻めてくる敵から、谷の最も狭いところに土塁を築いて守りをかためていました。

上城戸跡の土塁(福井側)

長さ約100m、高さ約5mの土塁のこちら側(福井)には濠があり、土塁のうえには防御のための塀が造られていたと考えられています。

九州大宰府の防御のために造られて水城(みずき)と同じですね。 

一乗谷朝倉館跡唐門と土塁

次は、一乗谷朝倉氏遺跡の名所の唐門です。

上城戸から随分と歩きますよ。

朝倉館跡は城下町のほぼ中央にあります。

5代当主の朝倉義景が住んだ館の入口である唐門は、江戸時代松雲院の山門として造られたものです。

豊臣秀吉が朝倉氏慰霊のために寄進したとも伝わっています。

朝倉館は東側の山を背負い、南・西・北の三方を土塁と濠で囲んだ造りです。

御殿を中心に会所、蔵、茶室、庭園、日本最古の花壇などが配置されていました。

館は平時の居館で、非常時には主は背後の一乗山の山城に入ります。

設置されている朝倉館跡の説明板

朝倉館跡が整備され、建物の柱の位置などが平面表示されている

朝倉館跡の隅にある義景公墓所

周囲は土塁で囲まれています

朝倉館跡内部から入口方面を見る

館の三面には土塁と濠が造られています

濠の中には錦鯉がいました

朝倉館跡の土塁と濠

特別名勝湯殿跡庭園は、朝倉館より一段高いところにあります。

湯殿跡

迫力のある石組みで、鶴岩亀岩を思わせる中島や出島があり、水路が山際に沿って流れる池泉式庭園です。

他の庭園とは様式が違う、一乗谷では最も古い庭園だそうです。

豪壮な庭石を組んだ湯殿跡庭園

諏訪館跡庭園へは湯殿跡庭園から谷を渡っていきます。

諏訪館跡

諏訪館は5代義景の妻「小少将」の館で、池泉回遊式庭園があります。

遺構の中でも最も規模の大きい庭園です。

中心の4m余りの巨石は、滝石組となっています。

この石には3代貞景、4代孝景などの法名が彫られているようです。

諏訪館跡庭園

諏訪館跡庭園

さて、いよいよ「復元町並」に入ります。

ここで100名城のスタンプを押しました。

100名城のスタンプ

「復元町並」は、当時の材料や工具を検証して、発掘時の石垣や礎石を使用して忠実に復元されています。

塀に囲まれた重臣の屋敷が山際に並び、道路を挟んで武家屋敷や町屋が造られていました。

町屋は道路に面して短冊形に建ち並んでいます。

間口6m、奥行き12m前後の長方形の家で、溝で区画されています。

出土した遺物で、紺屋・鍛冶屋・鋳物師・大工などの職種の人々が住んでいたことが分かっています。

多くの家は板葺屋根で、壁は土または板壁だったらしいですね。

道路は、防御のために鍵折れ、T字路、行き止まりなどの工夫がされています。

復元された町並

復元町屋

手前は井戸、右奥の小屋は便所

日本で初めて便所が確認されたのが、一乗谷だそうです。

便所と考えられる穴はたくさん見つかっていましたが、「金隠し」が出土したことで裏付けられたとパンフレットに書かれていました。

京都の町屋は、路上や裏庭に共同の便所や井戸をもっていたことが「洛中洛外図」などによって知られているようです。

しかし一乗谷の町屋の多くは、個々の家に井戸や便所を持っていたことが発掘調査の結果わかっていますよ。

復元商家内部 子供が覗いています

上級武家屋敷群跡

武家屋敷の棟門

 復原された武家屋敷の棟門

武家屋敷内部 将棋をしています

武家屋敷内部 囲炉裏があり、魚を調理している

復元町並

夏らしく風鈴が飾られていました

復元町並模型

休憩所に展示されている説明パネル

道路の西側の山際には多くの寺院跡があり、土塁、卒塔婆、墓地などが発見されています。

平面復元地区の様子

下城戸は、土塁の上城戸とは違って巨石を使って桝形の虎口が造られています。

幅18m、高さ5m、長さ20mの城戸で城門があったようです。

下城戸の石組み(城下町側)

設置されている説明板

下城戸の虎口の石組み(城下町外側)

下城戸(外側)

下城戸(外側) 手前には水濠が造られている

福井県一乗谷朝倉氏遺跡博物館     by:photo-ac

2022年10月1日にオープンします。

時間は充分にあったのですが、私が訪れたのはオープン前だったため、残念ながら見学できませんでした。

一乗谷朝倉氏遺跡」は、朝倉館跡だけでなく、湯殿跡庭園、諏訪館跡庭園、山城や城下町を含めた全体を指します。

全部が一乗谷遺跡として、国の特別史跡に指定されているのですね。

しかも、それだけではありません。

中世唯一最大の戦国城下町跡「一乗谷朝倉氏遺跡」は、特別名勝重要文化財の指定も受けています。

特別史跡特別名勝の二重指定を受けているのは全国で10ヶ所、三重指定はわずか6例だけです。

また、令和になって日本遺産にも認定されました。

すごい遺跡なんですよ。

ぜひ行ってみてくださいね。

 

歩いて堪能した後、福井県一乗谷朝倉氏遺跡博物館の前のバス停から、福井駅に戻りました。

 

【参考文献】

平井 聖監修『3 甲信越・北陸 銀嶺を望む風雪の城』(毎日新聞社 平成9年3月10日発行)、財団法人日本城郭協会監修『日本100名城公式ガイドブック』(学習研究社 2007年7月3日第1刷発行)、南條範夫監修『日本の城  名城探訪ガイド』(日本通信教育連盟)、石井進監修『文化財探訪クラブ6 城と城下町』(山川出版社1999年7月25日1版1刷発行)、『城と城下町 東の旅』(日本通信教育連盟)、『城 其ノ二』及び『城 解説編』(日本通信教育連盟)、他

 

 

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