30回目となりました。
今回は、兵庫県の姫路にある国宝・姫路城です。
別称は姫山城や有名な白鷺(はくろ)城。
平成5年(1993)に世界文化遺産日本第1号として認定され、2006年には「日本100名城」(第59番)に選定されました。
現存12天守のうちのひとつで、松山城、和歌山城と並ぶ三大平山城・連立式天守、また近代以降の大阪城、熊本城との三大名城のひとつです。
ちなみに、「日本さくら名所100選」にも選ばれている、桜のお城でもあります。
春になると、約1000本もの桜が咲き乱れ、それはゴージャスな光景となりますよ。
姫路城は当ブログの「お城の防衛機能 姫路城で説明」を読んでいただければご理解いただけますが、「城」そのものの防御機能が大変よくわかる実例の城です。
探訪するには3時間位かけて下さいね。
通り一片の見学ではもったいないです。
私は姫路城へは1995年11月5日に登城しましたが、それ以前にもそれ以後も何回も探訪している大好きな城です。管理人も大好きです!
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では、まず歴史から。
姫路城の起源は鎌倉時代末期の播磨の守護職・赤松則村(のりむら)が元弘3年(1333)姫山に砦を築いたことに始まると言われています。
その後は小寺氏が守り、姫山城と呼ばれていました。
姫路城の東にあった御着城が小寺氏の本城で姫路城は支城でした。
城主は黒田氏に代わり、黒田孝高(よしたか 通称官兵衛、後の如水)のとき、織田信長が羽柴秀吉を中国攻めの先鋒として送り込んできます。
黒田孝高は秀吉に恭順の意を表して姫路城を提供し、播磨平定に協力します。
天正8年(1580)には播磨を制圧した秀吉に黒田孝高は姫路城を譲ります。
秀吉は中国攻めの本拠とするために、黒田孝高と浅野長政を築城奉行として大改修を行い三重の天守を建築。
その後、関ヶ原の戦いではなばなしい戦功をあげた池田輝政(てるまさ)が播磨一国52万石を与えられ入封し、慶長6年(1601)から9年の歳月を費やして縄張りを改め、今日に残る姫路城を築きます。
家康は、次女督姫(とくひめ)と再婚し姻戚関係となった池田輝政を西国の外様大名を抑え込むために最大限利用したのですね。
輝政は徳川に厚遇され松平の姓も許され、しばしば加増、「姫路宰相百万石」と言われました。
輝政の次男・忠継は備前28万石、三男・忠雄は淡路6万石に封じられていますので、実質的に輝政は一家として約100万石を得て、西国からの防波堤の役割を果たしてゆきます。
加賀前田家の他にもう一家、100万石大名がいたのです。
その後本多忠政が15万石で入封、西の丸をはじめ姫路城を現在の形に完成させました。
以後、譜代大名が頻繁に交代していきます。
姫路城は一度も戦火にあうことのなかった「不戦の城」でしたが、明治政府の廃城令により取り壊されることになりました。
当時のお金で23円50銭で落札。
しかし取り壊すにはあまりにも手間と費用がかかるということで放置され、天守以下の建物は朽ち果てるままに捨て置かれていました。
この危機を救ったのは、三の丸の陸軍歩兵連隊を訪れた中村重遠(しげとう)大佐でした。
大佐の政府への働きかけで明治43年に9万円が支給され、天守や諸櫓の緊急の修繕を実施、崩壊の危機を免れています。
この功績により菱の門を入ったところに中村大佐の顕彰碑が建っていますよ。
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姫路城は現在でも大規模な城郭ですが、100年ほど前までは現在の数十倍の規模を有していたようです。
今は城址公園になっている濠に囲まれた内側でも建造物が残るのは当時の三分の一の範囲に過ぎません。
城址公園の広場などは三の丸に当たり、建造物群が残るのは本丸、二の丸、西の丸だけです。
いかに巨大な城郭だったか。
現在、内堀の中だけでも東京ドーム約5個分の広さがあるそうです。
城郭は標高50mの姫山の本丸を中心に左回りに二の丸、備前丸、西の丸、三の丸が配された渦郭式の縄張りです。
濠は本丸の北東の姫山の麓を起点にして左回りに大きな螺旋を描いて、内濠、中濠、外濠と三重に廻って広い範囲を城下に含めています。
ここで話は変わりますが、「白い城」のことです。
家康が征夷大将軍に就任するにあたり、祖先を源氏と称し、徳川家の旗印を源氏に倣って純白と定めました。
これに従って、江戸城を白壁にしたと言われています。
家康の娘婿で西国の押さえとして姫路城に入った輝政は「鎮西の将軍」と呼ばれ、東の江戸城に対し西の府城を築く必要があり、それゆえ白壁で統一したようです。へえ!
天守は、近世城郭完成期直前の形で高い石垣上の天守群からなり、大天守は五重六階地下一階望楼型です。
そして大天守に、東、西、乾(北西)の三つの三重小天守が二重の渡櫓で結ばれています。
これはいわゆる連立式天守ですが、このような完全な形で残っているのは姫路城だけです。
隅には石落とし、二重目に大きな軒唐破風と四重目まで届く巨大な入母屋破風、三重目には比翼入母屋破風、そして四重目には千鳥破風と軒唐破風、そして小天守には軒唐破風や入母屋破風、華頭窓などが組み合わされています。
白漆喰総塗籠でまさに純白の、美しく城の王者と呼ぶにふさわしい威厳を持っていますよね。
そして桃山風天守の最後を飾る傑作と呼ぶにふさわしい、天下の名城です。
天守の最上階に「長壁(おさかべ)神社」があることも珍しいですね。
この神社は天守が建てられた姫山にあった地主神で、築城に際して城外に移されました。
しかし神の祟りがあると再び城内に戻されたもので、宮本武蔵の妖怪退治伝説も有名ですね。
それにしても天守の最上階に神社を祀るとは驚きです。
私は他の城で見たことはないと思います。
菱の門と呼ばれる二の丸大手門が二重櫓門。
外観は白漆喰総塗籠で屋根は本瓦の入母屋造り、筋金を貼った門扉を持っています。
二階正面に並べられた竪格子窓と華頭窓、出格子窓は、黒漆の格子に金箔の装飾が施されています。
城内でもひときわ美しい門です。
これに類する門は、旧国宝の仙台城大手門がありましたが、戦災で焼失しましたので、今ではこの菱の門しか見ることが出来ません。
菱の門は大手筋を固める門として厳重な装備を持ち、石垣と土塀で桝形を構え、二階には四ヶ所の石落としを隠し備えています。
「上道(かみみち)」と呼ばれる菱の門から続く天守までの道には、い・ろ・は・に・ほ・の五門があり、さらにその先には一から六までの「水の門」が待ち受けています。
頭上に聳え立つ天守には近づいたかと思えば遠ざかり、狭められた通路には狭間が狙いすましている状態です。
綿密巧妙に設計された城の防御構造は、姫路城が名城と言われる由縁となっています。
池田氏3代の後に入封した本多忠政は、長男の忠刻(ただとき)と千姫のために鷺山(さぎやま)の西の丸を整備。
武蔵野御殿と千姫の自由になる二重二階建ての化粧櫓、侍女らが控える長局(多聞櫓)も建てました。
化粧櫓という女性らしい名前の櫓があるのは全国でも姫路城だけです。
将軍徳川秀忠の長女・千姫は、わずか7歳で秀吉の子豊臣秀頼に嫁いできました。
徳川家康の孫であり、戦国一の美女とうたわれた織田信長の妹・お市の方の孫でもあります。
しかし19歳のときの大坂城が落城、秀頼は自刃。
そのあと、10万石の化粧料をもって本多忠刻に再嫁しました。
千姫、21歳の時です。
ちなみに、再婚した夫・忠刻の剣の指南役は、あの有名な宮本武蔵です。
夫の忠刻は剣に精進し、妻の千姫は長男の幸千代も誕生して姫路城西の丸で幸せな日々を過ごしていました。
しかし残念なことに幸千代は三歳で亡くなり、忠刻も寛永3年(1626)5月31歳の若さで亡くなってしまいました。
千姫が姫路城に入って9年目のことですね。
千姫は30歳で出家し天樹院と名のり江戸に帰り、その後40年の生涯を独り身で送った、幸薄い人生でした。
屋根の鬼瓦や軒丸瓦、その下部にある逆三角形の滴水瓦(朝鮮瓦ともいう)には、築城した城主や修理した城主の家紋を彫った瓦を使っています。
中央に十字の入った瓦が見える
はの門を入ったところの石垣の上に建つ櫓には十字(クロス)の紋瓦があります。
これはキリシタン大名だった元城主の黒田官兵衛に関係があるようです(全く関係ないという説もあり)。
天守の一階以上の入側(武者走り)柱間にある貫には、おびただしい竹釘や鉄釘が一定間隔で打ちつけられています。
弾薬などを吊り下げていた用具掛と考えられていますよ。
また入側と母屋を分ける壁には、火縄銃や槍を架ける武具掛けがあります。
もしこれらすべてに銃などの武器が備えられていたとしたら、実にたくさんの武器・弾薬類が天守内部に備蓄されていたことになります。
他の現存天守の内部では見た記憶がありません。
各階には狭間が設けられており、最上階にも合計16もの狭間があります。
また石落としも設けていますが、他の城のものとは違って床面と同じ高さではなく、大人の胸位の高さの所に開口部があります。
姫路城は一見優美で気品ある天守のようですが、実態は厳重な防御設備をもつ軍事施設であることを雄弁に物語っていますね。
外見に惑わされてはいけません。
お家乗っ取りの企てを女中お菊が知り、城主の難を救いました。
しかし家老はそれを恨み、家宝の皿一枚を隠してお菊を責め、井戸に投げ込んで殺したという有名な話の井戸です。
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城と同じく威風堂々とした公式サイトがありますので、のせておきますね。
姫路は遠くて中々行けないという方は、公式サイトにある動画などでお楽しみください。
*姫路城詳細
・住所:姫路市本町68番地
・アクセス:各姫路駅から徒歩約16分
・営業時間:9:00~16:00まで(閉門は17:00)、夏季(4月27日から8月31日)は9:00分~17:00まで(閉門は18:00)
・休業日:12月29日、30日
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【参考文献】
平井 聖監修『城 6 中国 甍きらめく西国の城塞』(毎日新聞社 平成8年11月25日発行)、財団法人日本城郭協会監修『日本100名城公式ガイドブック』(学習研究社 2007年7月3日第1刷発行)、中井均監修『超雑学 読んだら話したくなる 日本の城』(日本実業出版社 2010年6月20日発行)、寺林峻編『姫路城遊歩ガイド』(神戸新聞総合出版センター 1994年5月10日第二刷)、「姫路城パンフレット」他
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