
彦根城は滋賀県を代表する観光スポットであり、国宝にも指定されている城跡です。
「現存十二天守」の一つとして非常に美しい姿を見せてくれますが、実はお城ファン、特に「城郭構造」が好きな人たちの間では「日本屈指の防御力を誇る、実戦型のお城」として知られています。
彦根城を築いたのは、徳川四天王の一人である井伊直政を祖とする井伊家です。
関ヶ原の戦い後、豊臣秀頼のいる大坂城と西国大名への備えとして築かれたこの城には、当時の軍事技術の粋が集められました。
もし自分が当時の兵士として彦根城を攻めることになったら、一体どこで足止めされてしまうのか?
今回は、観光ガイドにはあまり載っていない「防御機能」に注目して、彦根城の攻略難易度をシミュレーションしてみたいと思います。
2026年の2月に、私は実際に「攻めるつもりで登城」をしてきましたので、写真つきで紹介しますね。
なお、彦根城の歴史や見どころ、アクセスなどの詳細は以下の記事で紹介しています。
▼関連記事 姫路城攻略の記事はこちら
- *彦根城は「江戸軍事建築の集大成」と呼ばれた城
- *まず彦根城には近づけない【琵琶湖と三重の堀】
- *北側は“天然の罠”【松原内湖という湿地帯】
- *進めば進むほど足止めされる! 石段・桝形・堀切・橋・櫓の防御網
- *本丸へ行かせないための司令塔【太鼓門櫓】
- *天守は最後の要塞だった
- *逃げ場を与えない最終防衛線【登り石垣】
- *彦根城の防御はすさまじい!ぜひ「攻める」つもりで訪問を
- *おまけ:彦根城の写真集
*彦根城は「江戸軍事建築の集大成」と呼ばれた城

彦根城を語る上で欠かせないキーワードが、「江戸軍事建築の集大成」という言葉です。
天下分け目の関ヶ原から間もない時期に築城が始まった彦根城は、平和な江戸時代の象徴というよりは、まだ戦の匂いが残る「戦うための拠点」として設計されました。
その特徴は、「水城(みずじろ)」と「平山城(ひらやまじろ)」のハイブリッド構造にあります。
- 政治の拠点:城下町を見下ろす威厳ある姿
- 軍事の拠点:複雑な地形と最新の石垣・櫓による鉄壁の防御
また、彦根城の天守には多くの装飾(切妻破風など)が見られますが、これらは単なるデザインではありません。
窓の数を増やして死角をなくし、どの角度からでも攻撃ができるようにするという、非常に実践的な役割も兼ね備えているのです。
井伊家がこの地に込めた「絶対に本丸へは行かせない」という強い意志がわかりますよね。
では、それを象徴する具体的な仕掛けを、順番に見ていきましょう。
*まず彦根城には近づけない【琵琶湖と三重の堀】

画像出典:はてなブログ「縄張図片手に廻る彦根城 三の丸 鈴木屋敷長屋門 外堀跡」より
上の写真は他ブログよりお借りしましたが、恐らく彦根市教育委員会文化財部文化財課の作成した「彦根城の外堀跡」案内板の写真からの切り取りと思います。
とってもわかりやすいので使わせていただきます、ありがとうございます。
彦根城の防御を語る上で、まず注目すべきはその「外構(そとがまえ)」です。
彦根城は、広大な琵琶湖を天然の外堀として取り込んだ「水城」としての性格を強く持っています。
最大の特徴は、城を中心に同心円状に張り巡らされた「三重の堀(内堀・中堀・外堀)」です。
外堀は本丸(現在彦根城として公開されている範囲)から考えると本当に遠いところにありますね……。
- 物理的な距離感:幾重にも重なる堀が、敵軍が城下に展開するスペースを奪います。
- 進軍ルートの限定:堀があることで、攻め手は「橋」がある場所に限定されます。城側からすれば、狙いを定めるべき場所が最初から決まっているようなものです。
現在、外堀の多くは埋め立てられていますが、かつては総延長約6kmにも及ぶ広大な防御線でした。

城門にたどり着く前に、何度も水に阻まれるわけですね。
この「近づかせない」設計こそが、攻める側にとっての第一の絶望ポイントです。
ちなみに今は、内堀では屋形船での45分間の遊覧も楽しめますよ。
船頭さんの説明付きですし、桜の時期などは素敵な時間になると思います。
*北側は“天然の罠”【松原内湖という湿地帯】
正面突破が難しいなら、手薄そうな北側から……と考えるのが攻め手の常道ですが、彦根城の北側にはかつて「松原内湖」と呼ばれる広大な湿地帯が広がっていました。

画像出典:彦根城公式サイトの「彦根城外堀マップ」より
これが攻略側にとっては非常に厄介な「天然の罠」となります。
湿地帯は、足を取られる地質です。
当時の重い甲冑を着た足軽や、重量のある騎馬隊にとって、足元が不安定な湿地帯は進軍速度を極端に低下させます。
また、広大な湿地帯には遮蔽物がありません。
つまり標的になりやすいのですね。
湿地で身動きが取れなくなれば、城壁からの鉄砲射撃に対して完全に無防備な晒し者になってしまいます。
彦根城の周囲は「堀によってルートを限定されるか、湿地で足止めされるか」の二択を迫られるよう設計されていたのです。
この地理的条件を活かした配置は、まさに軍事拠点としての合理性を物語っていますよね。
*進めば進むほど足止めされる! 石段・桝形・堀切・橋・櫓の防御網
堀を越え、ようやく城内に侵入できたとします。
しかし、そこからはさらに巧妙な罠が待ち構えていますよ。
- 斜めかつ不均等の石段がある登り道
- いくつもの桝形
- 2つの大堀切
- 切り落とせる橋
- 立ちはだかる櫓
とりあえず、進軍のルート順に紹介していきますね。
まずは、中堀を超えて佐和口多門櫓にたどり着きましょう。



まっすぐ走れないようになってますねえ……。
桝形の上の写真を右手に曲がると、もともとは櫓門があり、容易に入れませんでした。
そしてそこを突破して入城したとしても、すぐにまた曲がり角で左手へ。
すると内堀に出会います。

ここは表門橋のたもとです。
では、橋を渡って表門、表御殿跡(現在は彦根城博物館)に参りましょう。

ここから橋を渡ると、表門。
かつては藩政をしていた表御殿が、今は博物館になっていますよ。


彦根城博物館にもいき、美術品や御殿の中などさまざまな美しい古物を見ました。
とりあえず今回は、攻城がテーマなので省きます。
斜めかつ不均等の石段がある登り道
表門方面から攻撃するとしましょう。
とにかく本丸、そして天守を目指そうとまずは上へと続く石段道(表坂)を上がっていくのですが、この石段、長く急なうえに、斜めかつ不均等に作られていました。
斜めとは、左右で高さが微妙に違っているんですね。

通常、山道などで歩きやすくするために階段(石段)が作られる際は、できるだけ左右の高さを均等にしますよね。
それが微妙な角度がついており、普通にのぼっているつもりでも左側へとなんとなく体が引っ張られる感じになります。
彦根城の特徴かと聞かれるとそんなことはないかもしれませんが、これは地味に足腰にきますよ。
普段から運動不足の私は、この石段を上るだけで完全に息が上がりました。
甲冑を着てここを駆け上がるなど……!
想像しただけで気が遠くなります。
はい、上までのぼってきました。

見えてきたのは、彦根城の有名な風景ですね。
大堀切、天秤櫓、そして橋です。
いくつもの桝形
桝形とは桝(ます)のように四角い形をした空き地のことで、石垣や土塁、門などで囲っている場所を言います。
攻撃の際、その進軍の勢いを削ぐため、そして狙い撃ちするために作られています。
桃山時代に作られて以来、関ヶ原の戦いを契機に急速に発展しましたが、彦根城にもこの桝形がたくさんありました。
表門と大手門に分かれて攻撃しようとしても、進んでいくと結局天秤櫓下の大堀切で両方から来た兵が出会うようになっており、上から一挙に攻撃されることになります。

息を整えたら、背後にある階段を昇っていきましょう。


階段が続いてますねえ……。
ようやく開けたところに出ました!
前方、看板がある方が鐘の丸です。
ここには売店がありますので、夏場などは一度休憩して給水してくださいね。
当然、当時にはそのようなものはありませんが。
2つの大堀切
彦根城には、鐘の丸と太鼓丸の間、そして西の丸と出廓の間に大きな堀切があります。
この大堀切は8mにも及ぶ巨大な「溝」で、前述したように、廊下橋(落とし橋)が架かっています。

敵襲時にはこれを壊して落とすことで敵の侵入を止めるだけでなく、二重の天秤櫓の狭間から、敵兵に弓矢や火縄銃の攻撃を浴びせられます。
大堀切と落とし橋の組み合わせは日本の城の中でも非常に珍しいもの。
彦根城が軍事的な防御施設として発達した様子がわかりますね。
また、表門や大手門から攻め上ってくる敵兵を、天秤櫓から攻撃できるようになっています。
表門から入った敵兵と大手門から入った敵兵はこの大堀切で合流することになりますが、そこに滞留した敵兵は、天秤櫓からと鐘の丸側から狙い撃ちにされるのです。
切り落とせる橋
堀切をうまく抜け出せたとして、さらに石段を上ったその先には、廊下橋があります。
何度も書いていますが、天秤櫓の前に架かる「廊下橋」は、非常時には切り落とせる構造になっています。
橋を落とせば、敵は目の前の高い石垣をよじ登るしかなくなり、進軍は完全にストップします。


「城門を一つ突破すれば終わり」ではなく、進むごとに新しい壁が現れ、そのたびに足を止められてしまう構造でした。
この「時間稼ぎ」の積み重ねが、攻め手の体力を確実に削いでいくわけですね。
立ちはだかる櫓
彦根城には、現在、以下4つの櫓があります。
- 天秤櫓
- 太鼓門櫓
- 西の丸三重櫓
- 佐和口多門櫓
そしてその代表格が、重要文化財にも指定されている「天秤櫓(てんびんやぐら)」です。


天秤櫓は築城開始から数年後に築かれました。
彦根藩主の井伊家に伝わる歴史書「井伊年譜」によると、長浜城の大手門を移築して作った櫓であると書かれているそうですよ(※)。
天秤櫓では門を中心に、左右に同じような櫓が配置されています。
上から見ると「コ」の形になっています。


中央の門を突破しようとする敵を、左右両側の櫓から高い位置で射撃できるようになっているのです。
また、天秤櫓の門を突破できても、内側は内桝形になっています。
つまり、門を破って進んだ途端、真正面と両側から攻撃を受けるわけですね。
※昭和30年代に修理が行われた際に、櫓が移築されたものであることや、長浜城主の内藤家の紋瓦なども確認されましたが、前身が長浜城大手門と断定できるだけの証拠はないとされています。
下の写真は天秤櫓から太鼓門櫓に行くまでにある時報鐘です。

*本丸へ行かせないための司令塔【太鼓門櫓】

甲冑も着ていない現代人の私ですが、すでに十分疲れています……。
しかし、まだ天守は見えません。
天秤櫓を抜けて、不揃いな石が散りばめられた大変走りにくい石段を登っていくと、次は本丸の入り口に「太鼓門櫓(たいこもんやぐら)」が控えています。


ここには城内に合図を送るための太鼓が置かれていました。
太鼓の音は、城内の兵たちに敵の動きを知らせ、一斉に配置を変えるための合図となります。
戦は、集団対集団の戦いです。
彦根城の防御は、兵士一人ひとりの強さに頼るのではなく、大規模な軍隊を組織的に動かすことを前提とした、高度な軍事指揮系統に基づいています。
攻める側からすれば、常に自分の動きを察知され、先手を打たれているような絶望感を味わうことになりますよね。
またそれだけではなく、太鼓門と続櫓は外桝形を構成しており、石段を攻め上ってくる敵兵を三方から攻撃できるようになっています。
太鼓櫓の城門を破壊しようとする敵兵は攻撃に晒されます。
そしてもしこの太鼓櫓門を突破できても、門の内側は内桝形。
つまり、またもや正面から攻撃を受けることになるのです。



はい、天守です!
ようや~く天守にたどり着きました……。

*天守は最後の要塞だった

堀や櫓を突破し、ようやく天守にたどり着きましたね。
ここまでで、だいぶ戦力は削がれているはずです。
ただ登ってきただけのはずの私は息も切れ切れでございます……。
しかし、彦根城の天守はただのシンボルではなく、文字通り「最後の要塞」としての機能を備えています。

こちらは天守の細い面ですね。
写真の右手から天守に入れます。
入れはしますが、まず天守前で間違いなく戦いはあるでしょう。
そして何とか入口までたどり着いたとしても、入口は小さな鉄扉となっていて行く手を阻んでいます。

この鉄扉を破壊しない限りは天守の内部には入れないようになっているのですね。
ここでのポイントは、次の4点です。
- 牛蒡積み(ごぼうづみ)で堅牢な石垣
- 鉄砲射撃に最適化された窓
- 外からはわからない「隠し狭間」
- 隠し部屋「武者溜まり」
牛蒡積みで堅牢な石垣

天守台には「牛蒡積み」と呼ばれる技法が使われています。
石の表面は小さく見えますが、奥が牛蒡のように長く内側に刺さっており、排水性に優れ地震にも非常に強い構造です。
崩れにくい土台は、籠城戦において不可欠な要素でした。
鉄砲射撃に最適化された窓
外観を飾る多くの窓ですが、実は内側から見ると、鉄砲を構えやすい高さや角度に精密に配置されています。
これは「突き上げ窓」になっており、雨のときも鉄砲による攻撃が可能でした。
下の写真は天守の内部ですが、階段が今までの人生で一番急で大変危なかった!!
訪問時には皆様、細心の注意を払うようにしてくださいね。

外からはわからない「隠し狭間」

狭間は▢や〇の形をした壁の穴で、ここから攻撃します。
通常は外からも穴がわかりますが彦根城の狭間は隠し狭間となっており、外側は白漆喰で塗りこめられているため、外からではどこに攻撃口があるかわからない仕様になっています。
どこから槍や弓、鉄砲の玉が飛んでくるかわからない恐怖にも、襲われることになるのです。
隠し部屋「武者溜まり・破風の間」
天守の3階にある切妻破風の内側には、外からは全く見えない「隠し部屋」があります。

一見するとただの壁に見える場所に兵を潜ませ、攻め込んできた敵を不意打ちにする、最後の最後までの徹底抗戦を想定した設計ですね。
破風部分は下屋根の軒近くまで突き出ているため、屋根面による死角がすくなく、防御に有効だったそうです。
覗き込んでみましたが、思ったより広く、大きかったです。
人が4人は隠れられるんじゃないかなあ。

*逃げ場を与えない最終防衛線【登り石垣】

彦根城の防御機能の中でも、城郭ファンを唸らせるのが全国的にも珍しい「登り石垣」の存在です。
通常、石垣は曲輪(くるわ)を囲うように築かれますが、登り石垣は山の斜面に対して「垂直」にそびえ立っています。
彦根城には、何と五か所も築かれていましたよ。
この登り石垣の目的は2つです。
- 横移動の完全遮断
- 「狩場」への誘導
山の斜面を攻め上がる際、敵は防御が薄い場所を探して左右に移動しようとしますが、この垂直の壁がそれを阻みます。
そして移動を封じられた敵兵は、結果として守備側が最も狙い撃ちしやすい、狭いエリアに押し込められることになります。
この登り石垣があることで、山全体が巨大な「迷路」かつ「袋小路」となり、攻め手は逃げ場を失ったまま殲滅されるという、極めて残酷で合理的な設計になっているのです。
現地の説明板によると、本来はこの登り石垣には瓦塀がついていたとか。
簡単に乗り越えられないようになっていたんですね。


そのうえ、表門から鐘の丸に向かって伸びている約1mの登り石垣の左側には「竪堀(たてぼり)」が造られているのがわかります。
竪堀は、登り石垣とともに斜面を移動する敵兵の動きを阻止するものです。
彦根城は、このように多くの軍事技術が取り入れられた、堅固な城郭として築城されていることがわかりますね。
*彦根城の防御はすさまじい!ぜひ「攻める」つもりで訪問を

「美しい国宝」というイメージが強い彦根城ですが、その構造を紐解いていくと、「一気に攻めることが不可能な、消耗戦を強いる城」であることが分かります。
敵の進軍ルートを限定し、要所で足を止め、最後は逃げ場をなくして仕留める。
江戸時代の軍事思想を突き詰めたこの設計こそが、戦国の終わりを告げる「江戸軍事建築の集大成」と呼ばれる所以(ゆえん)です。
観光で訪れた際は、ぜひ天守だけでなく、足元の石垣や周囲の地形にも目を向けてみてください。
かつて井伊家がこの地に込めた、圧倒的な「守りの意志」を感じられるのではないでしょうか。
*おまけ:彦根城の写真集













なお、ブログ「日本のお城が大好きと叫びたい人の雑記」は基本的に、記事の筆者は花ちゃん(私の父)ですが、このコラムはブログ編集者・運営者の私・関目いちこ(花ちゃんの次女)が執筆しております。
▼関連記事 姫路城の攻略に重点を置いた記事はこちら
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