日本のお城が大好きだと叫びたい人の雑記

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お城大好き雑記 第15回 会津若松城

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会津若松城 by:photo-ac.com

15回目は、福島県です。

会津若松城ですね。

別称は鶴ケ(つるが)で、当該城郭では「若松城」を正式城名としています。

2006年に「日本100名城」(第12番)に選定されました。

また、盛岡城白河小峰城とともに東北三大名城と言われています。

 

いつものように、まずは歴史から。

若松城は天文7年(1538)から12年にかけて、蘆名直盛(あしな なおもり)が城郭としての体裁を整えたようです。

天正17年(1589)に蘆名氏を滅ぼした伊達政宗(だて まさむね)が居城とします。

しかし、翌18年の小田原出兵に際して豊臣秀吉に屈服、所領は没収となりました。

代わって入城した蒲生氏郷(がもう うじさと)が文禄元年(1592)から大改修し、近世城郭として整備し、名前も蘆名氏時代の黒川城を若松城に改めています

小高い地形を利用した本丸を中心に東に二の丸・三の丸を置く梯郭式の縄張りで、平城です。

本丸の中央部に天守を設け、城主の御殿や役所が設けられていました。

 

蒲生氏のあと、前回紹介の春日山城から上杉景勝(うえすぎ かげかつ)が入城しますが、慶長5年(1600)の関ヶ原の合戦で敗れるまでの在城でした。

江戸時代の城主は蒲生、加藤、松平(保科 ほしな)の三氏が続きます。

慶長16年(1611)の大地震天守や石垣、櫓などが被害を受けますが、加藤明成(かとう あきなり)が寛永16年(1639)頃に大改修。

天守の七重を五重層塔型に改め走長屋や黒鉄門を修築し、新たに北出丸や西出丸などを建造しました。

その後、寛永20年(1643)二代将軍秀忠の庶子(妾の子)保科正之(ほしな まさゆき)が入城し、三代目で松平と改名、幕末まで継承されます。

幕末の戊辰戦争(1868~1869)で松平容保(まつだいら かたもり)が新政府軍と闘って、明治元年(1868)9月22日落城しました。

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会津若松城へは1999年12月28日に登城しました。

現在の天守は、昭和40年に鉄筋コンクリートで再建された復元五重五階の層塔型連結式天守です。

内部は郷土博物館になっていますよ。

 

会津若松城は東北における代表的な近世城郭であり、戊辰戦争の戦跡としても歴史上も有名です。

そのため、天守など復元された建物を除いて本丸や北出丸、西出丸など中心部の遺構がよく保存されているのですね。

現在城址は、鶴ヶ城公園として公開されています。

冬期には総塗籠の白壁と屋根に積もった雪とで全面が白一色となり、北国の天守の美しさを見せてくれます。

ゴージャスですよね、大変美しいです!✨

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雪の天守  by:photo-ac

 戊辰戦争では政府軍との戦いにおいて一ヵ月も籠城に耐え、城の堅牢ぶりを見せつけています。

しかし明治7年(1874)には陸軍省の命令によって、天守・櫓・城門をはじめ城内の建物が取り壊されました。

ただその直前に撮られた古写真があったのですね。

それら写真などをもとに、昭和40年(1965)外観が復元されています。

良かった、写真があって。

三重目に設けられた千鳥破風付きの張出が特徴的で、他の切妻破風とともに層塔型のシンプルな天守に変化をつけています。

また最上階には廻り縁が設けられていますよ。

多用された石垣には、天守台の野面積みをはじめとするいろいろな技法のものを見られます。

特に本丸東側の高さ20m、長さ120mにも及ぶ切込接の高石垣は、本当に見事なのでぜひ見学を!

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切込接の石垣  by:photo-ac

昭和40年に、天守とともにかつては武器庫として使われていた走長屋(はしりながや)と黒鉄(くろがね)門が再建されました。

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黒鉄門と走長屋  by:photo-ac  

本丸の表門は、扉や柱などが鉄板で覆われていたので「黒鉄門」と呼ばれています。

平成2年には森川家に移築されていた茶室鱗閣が、本丸の旧位置に移築復元されています。 

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素晴らしい天守からの眺め  by:photo-ac  

天守から見た走長屋(手前)、正面の門が黒鉄門、続いて南走長屋、一番奥の飯干櫓(ほしいやぐら)が平成13年に再建されました。

左の広場は本丸御殿跡です。

 

平成23年(2011)には、黒瓦を当時と同じ赤瓦へと復元しています。

そして!

有名ですよね、会津若松城天守シャチホコの瞳には、2カラットのダイヤモンドが埋め込まれていますよ。

ここもゴージャス!!

ちなみに鶴ヶ城オリジナルの「桜のソフトクリーム」も美味しいと有名です。

見学に行った際には、ぜひご賞味ください。

 

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お城にはそれぞれに悲しいお話があるものですが、会津若松城の悲話はあまりにも有名です。

明治元年(1868)の9月22日、飯盛山から若松城の辺りより煙が上がるのを見て、少年隊である白虎隊は本城陥落と誤解。

20人の白虎隊士が自刃して果てたというお話です。

麓には白虎隊記念館があります。 

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飯盛山から若松城を望んでいる白虎隊士  by:photo-ac

会津藩は、新政府軍来襲に備えて部隊を年齢別に編成して機動力強化を図りました。

玄武隊(50歳以上)、青龍隊(36歳~49歳)、朱雀隊(18歳~35歳)そして白虎隊は17歳以下の少年隊でした。 

これからの命が、誤解によって散ってしまったのです。

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いつも線香が絶えない白虎隊士の墓  by:photo-ac

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会津若松城詳細

住所:福島県会津若松市追手門町1-1

アクセス:会津若松駅からバスで10分

営業時間:8:30~17:00 入城は16:30まで

休業日:年中無休

 

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【参考文献】

平井 聖監修『1 北海道・東北 吹雪舞うみちのくの堅城』(毎日新聞社 平成9年3月25日発行)、財団法人日本城郭協会監修『日本100名城公式ガイドブック』(学習研究社 2007年7月3日第1刷発行)、中井均監修『超雑学 読んだら話したくなる 日本の城』(日本実業出版社 2010年6月20日発行)、『城と城下町 東の旅』(日本通信教育連盟)他 

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