日本のお城が大好きだと叫びたい人の雑記

とにかくお城が好き!日本のお城のアレコレを好き勝手に書いていきます

お城大好き雑記 第39回 白河小峰城

f:id:sekimeitiko:20210219184512p:plain

福島県白河小峰城 桜と復元天守 by:photo-ac

39回目、福島県白河小峰城です。

こちらは関東の背後を固めるため、なおかつ奥州の関を固めるために建てられた城で、東北地方としては珍しくみごとな高石垣を巡らせた堅城です。

別称は白河城小峰城。梯郭式縄張りの平山城です。2006年に「日本100名城」(第13番)に選定されています。

 

織田信長重臣安土城築城の際の総奉行として名高い丹羽長秀(にわ ながひで)の嫡子・長重(ながしげ)によって築かれました。また盛岡城会津若松城とともに「東北三大名城」と称されています。

 

 

 

白河城は、南北朝時代結城親朝(ゆうき ちかとも)が小峰ケ岡に築いた小峰城に始まると言われています。

その後関ヶ原の戦いの後、寛永4年(1627)陸奥(むつ)国棚倉城から白河へ10万石大名として所替となった丹羽長重は、今に残る総石垣造りの城郭に大改築しました。

白河という東北の関門を固め、仙台、会津を抑えるための幕命による築城です。工事はわずか4年余のスピードで高石垣の城が完成し、白河城と呼ばれます。築城のスピードが早いのは、代々築城の名家と言われた丹羽家が優れた築城技術と職人を抱えていたからだと言われています。長重の子・光重(みつしげ)はのちに二本松城の修築に腕を振るっていますよ。

 

白河城は、江戸街道と二本松街道会津街道、棚倉街道と那須街道の交わる交通の要衝にあります。幕末の戊辰戦争で奧羽越(おううえつ)列藩同盟と新政府軍の戦いで廃墟となるまでの230年間、白河藩の本城として存続します。

丹羽氏が寛永20年に二本松へ国替したあとは徳川親藩譜代大名が幕末まで交替で着封している重要な城でした。ここでも、徳川の賢さが出ています。

豊臣系の築城名人に堅固な城を築城させておいてしばらくしてから転封させ、その後は徳川の城にしてしまっていますね。江戸時代に、棚倉城白河城二本松城と三つの城を築いた大名は丹羽家の他にはありません。すごい大名だったんですね。

 

*****************************

 

白河小峰城へは2002年7月21日に登城しました。

f:id:sekimeitiko:20210219185333p:plain

白河小峰城   by:photo-ac

城郭は、城の北西から北東へ流れる阿武隈(あぶくま)川を外堀にして、阿武隈川谷津田(やつた)川に挟まれた小高い丘を階段状に造成して造られています。

最高所に五角形の本丸、その東に竹の丸、一段低い場所に帯曲輪、雛壇式に二の丸と三の丸が配され、それぞれの曲輪を囲むように濠が巡らされています。東北隋一の縄張りと称されています。天守は特に造られず、本丸の北東隅に築かれた、高さ14mの三重櫓が天守として代用されました。

f:id:sekimeitiko:20210219185428p:plain

「「奥州白河城絵図」(正保城絵図)『城 1 北海道・東北 吹雪舞うみちのくの堅城』(毎日新聞社)より

 現在の天守(御三階櫓)は、戊辰戦争で焼失してから約120ぶりの平成3年(1991)に、白河市制四十周年記念事業として、「三重御櫓建絵図(川越公所伝之図)」に基づいて忠実に復元されたものですね。木造です。

各重とも黒漆腰下見板張と上部の白漆喰のコントラストが美しい姿を見せていますが、千鳥破風や唐破風がなく、大きな張り出し石落としが設けられている特異な外観となっています。平和な時代に築かれた櫓ですが、非常時の為の備えもされています。

f:id:sekimeitiko:20210220110237p:plain

御三階櫓(天守) by:photo-ac

平成6年には本丸の大手口・正門に当たる前御門(まえごもん)が完成し、「平成の城復元ブーム」の先駆けとなりました。

平成の復元の時に使った建築材は、官軍と旧幕府軍の激闘があった稲荷(いなり)山に生える樹齢450年程経た杉の老木が用いられたそうです。

f:id:sekimeitiko:20210219185939p:plain

前御門と御三階櫓  by:photo-ac

f:id:sekimeitiko:20210219190007p:plain

前御門と御三階櫓(本丸側)  by:photo-ac

f:id:sekimeitiko:20210219190031p:plain

 急勾配の高石垣       by:photo-ac

 

*****************************

 

白河城〉と呼ばれる城郭は、福島県白河小峰城以外にもあります。

私は未探訪ですが、結城親朝(ちかとも)が小峰山に築いた中世・戦国期の城、地元では白河搦手(からめて)城と呼ばれている城です。本によると、白河市内の南湖(なんこ)公園に向かう方向にあるようですね。小峰氏は天正18年(1590)小田原征伐に際して豊臣秀吉によって領地を没収され、滅亡しました。

 

さらに、古代から中世にかけての陸奥国への関門、白河関と呼ばれた関塞(せきそこ)の二つがいわゆる白河城と呼ばれる城だそうです。

白河の関は、関の森と呼ばれる標高414mの丘の上に、勿来(なこその)関、鼠ケ(ねずが)関と一緒に、奥州三関のひとつとして7世紀頃に築かれたと言われています。北からの侵入を防ぐためですね。

平安時代後期にはその役割を終えましたが、有名な歌枕になっていて、文学の世界では文人の憧れの地です。西行松尾芭蕉など時代を代表する歌人俳人たちが多くの歌を残しています。

 

JR白河駅前にある「白河集古苑」では、白河藩関係の資料を中心に白河小峰城に関係がある資料も展示されています。

 

*編集者の一言*

2021年3月現在、白河小峰城がある白河市では、清水門の復元に取り組んでいます。清水門とは二之丸と本丸を結ぶ重要な門で、高さは約11m、間口は約14m、小峰城の中では最も大きな櫓門です。清水門を再建するために立ちあげられたプロジェクト名は小峰城一石城主」!!清水門の復元に対する寄付1,000円ごとに「一石」とみなし、個人寄付者には以下の特典が予定されています。

・城主証・・・小峰城主証に指名を入れて後日郵送

・市のホームページに指名掲載(任意)

・一石城主限定ブックレット

・城主カード・・・市内の観光施設などが無料もしくは割引で入場できるカード(個人で寄付額1万円以上の方)

・城下町めぐりツアー(希望者のみ)

学芸員がガイドをして白河のまちを巡るツアー参加権

詳しくは市のホームページをどうぞ↓↓↓

小峰城一石城主募集! | 白河市公式ホームページ

 興味がある方は、参加してみてくださいね。市の目標は15万石で、2021年2月現在集まっているのは2万3千石だそうです。まだまだ募集中ですよ。

*編集者の一言終わり*

 

【私の福島3城探訪の旅】

2002年7月20日にJR白河駅近くのビジネスホテルに泊まり、翌朝一番に白河小峰城に行きましたが、何と10時オープン。仕方がないので、小説を読みながら1時間待ちました。

無事に白河小峰城を探訪したあとは東北本線で二本松まで行き、二本松城を探訪。箕輪門と櫓が再建され、二本松少年隊の像がありました。会津若松城と同じく、ここでも子供が犠牲(?)になり、悲劇的な戦闘を繰り広げたのです。

最後は、福島に行き、福島城跡を訪ねましたが、県庁の近くの駐車場にわずかに土塁が残っているだけの「しょうもない」城跡でした。3城跡を探訪して仙台空港から帰阪しました。

 

白河小峰城詳細

・住所:福島県白河市郭内

・アクセス:東北本線 白河駅から徒歩で5分

・営業時間:4月~10月:9時30分から17時、11月~3月:9時30分から16時

・休業日:12月29日~1月3日の6日間は休業

 

 

【参考文献】

平井 聖監修『1 北海道・東北 吹雪舞うみちのくの堅城』(毎日新聞社 平成9年3月25日発行)、財団法人日本城郭協会監修『日本100名城公式ガイドブック』(学習研究社 2007年7月3日第1刷発行)、『城と城下町 東の旅』(日本通信教育連盟)『名城探訪ガイド』(日本通信教育連盟)『城 解説編』(日本通信教育連盟)他