日本のお城が大好きだと叫びたい人の雑記

とにかくお城が好き!日本のお城のアレコレを好き勝手に書いていきます

お城大好き雑記 第32回 岩村城

 

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岐阜県岩村城 by:photo-ac

32回目です。今回は女性城主で有名な、岐阜県岩村城。2006年に「日本100名城」(38番)に選定されています。

 

岩村城岡山県備中松山城(480m)、奈良県高取城(584m)と並ぶ近世城郭における日本三大山城の一つで標高721mの山地に築かれた城です。天然の峻険な地形を利用し、壮大な石垣が築かれた要塞堅固な山城。原生林に周囲を覆われ、朝夕霧に包まれるところから別名・霧ケ城とも呼ばれています。江戸諸藩の城の中では、最も標高の高い所に築城され、しかも明治維新まで存続していた城なんですよ。

 

お城の歴史を見ていきましょう。岩村城鎌倉時代に遠山荘地頭職に任ぜられた加藤景廉(かげかど)がその子景朝(かげとも)を入国させ築城したと伝えられています。初代岩村城主景朝は遠山氏を称し、遠山氏の支配は戦国時代に織田信長の持城となるまでのおよそ300年以上の間着実に勢力を伸ばし、東美濃一円を支配していました。

 

織田信長は天下統一の突破口となる岩村への侵略の策として、絶世の美女だったと伝えられる叔母(叔母と言っても信長よりちょっと若い)を遠山景任(かげとう)に嫁がせますが、やがて景任が病気で亡くなってしまいます。そこで信長は五男で8歳の御坊(おぼう)丸を養子として岩村城に遣わし、その後継ぎとします。しかしまだ8歳に過ぎない子供ですので、実質的には叔母が女城主として采配をふるっていました。美しく聡明だと領民に愛された、おつやの方です。天正元年(1573)武田方の秋山晴近(信友あるいは虎繁)に攻撃されますが、その時信長の叔母・景任未亡人が実質上の城主として自ら武装し防戦し、4ヵ月の激戦が続きます。しかし、信長は長島の一揆などで進行できず、援軍を送ることができませんでした。これに対して晴近は、美人で聞こえた景任未亡人との結婚、御坊丸の家督相続を認めること条件として開城を迫ります。景任未亡人は家臣たちの命を救うためにこの申し出を受け、城を明け渡してしまいます。しかし、幼き御坊丸を甲府へ人質として送った叔母を信長は許しませんでした。天正3年三万の大軍をもって岩村城を包囲攻撃、領民と城主夫妻の命を助けるという約束で落城させますが、何と信長はこれを反故。結局、長良川のほとりで秋山晴近とともに逆さ磔にされてしまいました。屈辱的な結婚を余儀なくされましたが、領民を救う一念であったとも言われています。どちらにしても悲しい戦国の世の女城主の物語です。

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岐阜の山々の夕景 by:photo-ac

信長は岩村城を攻撃し、天正10年(1582)森長可(ながよし)を城主とします。森は城の大改修に着手、その子・忠政の代に山城を完成させます。近世城郭として大手門脇に三重櫓や本丸の二重枡形虎口などが出来上がるのは、関ヶ原の戦い後の慶長6年(1601)に入封した岩村藩祖・松平家乗(いえのり)の時代でした。家乗は山麓に藩主邸を造り、そこに城下に時を知らせる太鼓櫓を設けました。江戸時代には丹羽氏と松平氏が城主となっています。山麓部にありました居館群は明治14年(1881)に焼失しましたが、平成2年(1990)に太鼓櫓(下の写真・右)や表御門が「ふるさと創生事業」により再建されました。

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太鼓櫓と表門御門  by:photo-ac

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岩村城へは2002年3月24日に登城しました。

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by:photo-ac

城址公園から一の門を経て土岐門まで続く登城坂は素晴らしい石畳の道となっています。

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六段壁 by:photo-ac

地形が急斜面の為にとられた工法で、雛壇状に6段も積み上げられた石垣。六段壁と呼ばれている岩村城を代表する景観の一つです。岩村城と言えばこの写真ですね✨

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長局埋門跡(石垣の間にかつて門が存在していました)by:photo-ac

 

本丸に天守は建てられなかったようです。二重の本丸櫓、納戸櫓、東西両側に多門櫓があり、江戸初期山麓に藩主邸が完成するまでは主殿もここにあって城主が住んでいたと伝わっています。

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本丸  by:photo-ac

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復元絵図  by:photo-ac

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岩村城絵図」より

山頂部に本丸を構え、この本丸を中心にして三方面に東曲輪、二の丸、出丸を配し、本丸と東曲輪を帯曲輪が囲んでいます。二の丸の北には八幡曲輪を置くなど、全体の形態から梯郭式と連郭式の混用型縄張りと考えられます。とくに本丸と東曲輪は独立丘で、二の丸などが敵の手に落ちてもなお抗戦が可能です。

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霧ケ井戸 by:photo-ac

現在建物の遺構はありませんが、石垣の遺構が残されていますので、広大な山城の規模・形状を目の当たりにし、如何に攻め難い山城であるかが実感出来る城址です。

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本丸からの夕景 by:photo-ac

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2002年3月23日、岐阜県の野面積みの石垣と土塁が残る加納城、そして竹中氏館跡を訪ね岐阜駅前で一泊しました。翌24日には、明知鉄道に乗って岩村へ。岩村城の麓の藩主邸跡地に建てられている岩村歴史資料館で「享保岩村城絵図」など岩村城関係資料を見てから登城しました。本丸から城下町を見下ろしてから、ゆっくり下山しました。途中から雪が降ってきて、ああ、山城に登ってきたんだなあと感慨深かった思い出があります。

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岩村城下町 by:photo-ac

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懐かしいです

 


【余談】

岩村醸造から「女城主」という日本酒が出されています。飲んだことがないので何とも言えませんが、どんなお酒か興味があります。飲んだことがあるよ、という方は感想をお待ちしています!

 

また、他にも女城主がいますよ。筑前立花城(福岡市)城主・立花道雪(どうせつ)の娘・誾千代(ぎんちよ)です。誾千代が7歳の時父道雪から正式に家督を譲られ立花城の女城主となりました。のちに筑前岩屋城主高橋氏から宗茂(むねしげ)を婿養子に迎えますが、結婚後も女城主としての誇りを忘れない女丈夫であったということです。宗茂は西国一の強者と言われ、その後柳川藩の初代藩主となりました。

 

そしてこれも有名な女城主「直虎」ですね。岩村城のおつやの方とほぼ同時期に、静岡県にも女城主がいました。名前は井伊直虎で、大河ドラマにもなりました。おんな城主として井伊家を守った人ですね。井伊直弼の先祖に当たります。激動の戦国時代を必死で生きたのは男も女も同じですが、まさに女傑と呼べる方々ですね。

 

岩村城をもつ岩村町の公式サイトです。城下町や城についての詳細がわかりますよ。

 

岩村城詳細

住所:岐阜県恵那市岩村町城山

アクセス:中央自動車道「恵那IC」より、国道257号線で約20分/岩村歴史資料館前に駐車場有(無料) 駐車場より本丸まで徒歩30分

営業時間:24時間

休業日:年中無休

 

 

【参考文献】

平井 聖監修『4 東海 天下人への夢馳せる群雄の城』(毎日新聞社 平成8年12月25日発行)、財団法人日本城郭協会監修『日本100名城公式ガイドブック』(学習研究社 2007年7月3日第1刷発行))、石井進監修『文化財探訪クラブ 城と城下町』(山川出版社1999年7月25日1版1刷発行)中井均『超雑学 読んだら話したくなる 日本の城』(日本実業出版社 2010年6月20日発行)中山良昭編著『もう一度学びたい日本の城』(西東社2007年㋆15日発行)他