日本のお城が大好きだと叫びたい人の雑記

とにかくお城が好き!日本のお城のアレコレを好き勝手に書いていきます

織田信長の城を楽しもう!!信長に関係した6城址を紹介

 

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織田家家紋

今回は織田信長の城・城址6つを探訪して楽しむ!!というテーマです。最初は「日帰り旅行花ちゃんバージョン」にしようかと悩みましたが、いずれも名古屋から日帰りで十分にいける城址ですので、アクセスや訪問時間はご自身で考えるのが楽しいかな、と思いましたので中止。個別の城についての詳しい説明もここでは省略しております。お好きな時に順次探訪してくださいね。

 

はい、まずは「尾張のうつけもの」織田信長さんの像を眺めてください。

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岐阜駅前の織田信長像     by:photo-ac

 金ぴか✨ですね。岐阜駅前にあるものです。これ、ご本人が見たら何ていうんでしょうね。喜ぶでしょうか、それとも怒るのかな?

 

織田信長(天文3年(1534)~天正10年(1582)

 尾張国(愛知県)古渡城主・織田信秀(のぶひで)の嫡男。尾張統一後斎藤氏を滅ぼして美濃(岐阜県)を攻略。岐阜城を改修し、新拠点とした。畿内平定後に足利義昭(あしかが よしあき)を奉じ上洛。後に将軍義昭を追放し、室町幕府を滅亡させ、武田氏も滅ぼす。安土に新城を築くが、天下統一の道半ばにして明智光秀の謀反(本能寺の変)で遭って自刃。

 

1、那古野(なごや):関係した年月・天文3年(1534)~天文11年(1542)

 戦国時代の今川氏の城でしたが、後に勝幡城稲沢市)の織田信長の父信秀(のぶひで)が滅ぼし、那古野城織田氏の城となります。信長はこの城で生まれ、幼少期に父・信秀よりその城を譲られます。名古屋城二の丸に那古屋古城址の石碑があるようです。写真が見つからず、残念…。

 

2、古渡(ふるわたり):関係した年月・天文11年(1542)~天文23年(1554)

 父信秀が築城。信長は、天文15年(1546)ここで元服し、名を織田三郎信長と改名します。周囲は二重の濠があったらしいのですが、信秀が末森城に移り廃城となります。

 

城跡は名古屋市中区橘2丁目にある浄土真宗大谷派あたりで、別院の左端の方に「古渡城趾」の石碑があるようです。未探訪。

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名古屋別院 by:photo-ac

 3、清州城:関係した年月・天文23年(1554)~永禄 6年(1563)

 織田信長織田信友(のぶとも)を攻めて清州城を攻略し、居城を那古野城から清州城へ移します。信長が尾張を統一した城ですね。信長は自ら大改修した清州城に8年間居住しましたが、次の美濃攻めなどの備えから小牧山に新城を築き、永禄6年(1563)の完成とともに移ります。天正10年(1582)に開かれた信長亡き後の後継者を決めるいわゆる「清州会議」で有名ですね。現在城跡は清州公園となっており、織田信長銅像が建てられています。対岸の清州文化公園に平成元年(1989)年に清洲町町制100周年を記念して再建された三重四階の望楼型独立模擬天守があります。新幹線の車窓からも良く見えますね。1997年6月6日に登城。

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大手橋と清州城模擬天守   by:photo-ac

4、小牧山城(続日本100名城 No149):関係した年月・永禄6年(1563)~永禄10年(1967)

 濃尾平野の北東部にある標高86mの小牧山に、永禄6年(1563)に織田信長が美濃攻めの拠点とするため築城した城です。本拠を清州城から移しました。しかし斎藤氏滅亡とともに信長は本拠を岐阜城に移しましたので廃城。

 

17年後の天正12年(1584)、羽柴秀吉徳川家康の直接対決の小牧・長久手の戦いで、家康が小牧山に本陣を敷き城を改修して戦います。現在山頂にある小牧山城小牧市歴史館)は昭和42年(1967)に建てられたものです。小牧山城天守から濃尾平野が一望できますよ。三重四階の望楼型独立式模擬天守です。1998年6月2日登城。

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小牧山城模擬天守  by:photo-ac

5、岐阜城日本100名城 No39):関係した年月・永禄10年(1567)~天正7年(1579)

 斎藤道三の娘濃姫正室としていた信長は、斎藤龍興(たつおき)から奪い取った稲葉山城を大改修します。そして、かつて井ノ口(いのぐち)と呼ばれていた町の名前を中国の故事に倣い、「岐阜」と改めました。

 

険阻な標高336mの金華山(かつての稲葉山)の頂上に三重の岐阜城天守を造り、石垣、櫓などを備えて防備を固め、山麓に館を構えました。現在の天守は、昭和31年(1956)に再建された三重四階の望楼型独立式復興天守です。1999年5月3日に登城しました。

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岐阜城復興天守  by:photo-ac

6、安土城日本100名城 No51):関係した年月・天正7年(1579)~天正10年(1982)

 織田信長が、「天下布武」の象徴として天正4年(1576)から築城を開始した安土城は、天正7年に「天主(安土城にかぎり天主と言う)」竣工。信長は5月11日、天主に移り住みます。安土城は、天守を持つ城郭建築としては日本では初めての城と言われ、城に天守・石垣・瓦葺きをもたらした近世城郭の始まりの城です。武将の威光を天下に示すための手段として築かれた豪華絢爛な天守ですね。

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パンフレットから

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パンフレットから

「天主」は五重六階地下一階で、外観五重の内1~三重の基本的な外装は、木部はすべて黒漆塗り、その他露出する壁は白漆喰仕上げです。五階は八角形で法隆寺夢殿を模し、外柱が朱(赤)連子窓は緑(青)、最上階は正四角形の望楼で金閣寺を模して金箔押し、外側に高欄擬宝珠をつけた縁が付設されています。めっちゃ派手です。

 

翌10年6月2日の本能寺の変で信長は明智光秀に殺され、その直後の15日天守は炎上してしまいます。わずか数年でこの地上から姿を消した、まさしく「幻の城」です。1998年10月4日に登城しました。

 

出来れば、安土駅前の安土町城郭史料館、と「文芸の里」にある滋賀県安土城考古博物館、「安土城天主 信長の館」で、予め安土城について学んでください。その後安土城を探訪すれば、理解が深まってさらに面白く感じると思います。

 

 

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 【参考文献】

公益財団法人 日本城郭協会監修『日本100名城公式ガイドブック』(

学習研究社発行)同『続日本100名城公式ガイドブック』(学研プラス発行)『城(解説編)(日本通信教育連盟)「サライ」2012年9月号(小学館)他