日本のお城が大好きだと叫びたい人の雑記

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お城巡り必須項目!知っておきたい城郭用語その7 城郭・大名と城

 

*知っておきたい城郭用語(その7)

ここで紹介するのは、お城を理解する助けとなる用語です。


パンフレットや本を読んだとき、つまりこれは何?と悩むことはありませんか?お城を探訪する時や関連する本を読む時に、役立つ基本語その7を順次紹介していきましょう。

 

まずは「城郭」についてです。

 

【中世城郭】

安土城より前の土造りの城。一乗谷城、七尾城、小谷城山中城など

 

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七尾城本丸跡(2004年8月10日登城) by:photo-ac

【近世城郭】

安土城以後に普及した石垣造りの城。丸岡城上田城金沢城など。

 

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平成13年に復元された金沢城橋爪門(2001年8月5日登城) by:photo-ac

「織豊系城郭」

織田信長が創設し、豊臣秀吉が発展させた城郭。高い石垣と天守建築を特徴とする。岡崎城松本城盛岡城など。

 

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国宝松本城・層塔型連結式・複合式天守(2001年9月14日登城)by:photo-ac

 

*大名と城

 江戸時代に城を持てるのは原則1万石以上の大名で、幕末には280家、城主大名は158家、城主格大名は17家、城は210城位あったらしいです。1万石以下の大名は陣屋しか持てなかったのですね。

 

しかし、江戸末期国防上の必要性から城持ち大名に格上げされて城を持つことを許された大名もいます。松前藩松前城がその良い例でしょう。

 

また、藩ではないのですが、徳川幕府から大名家に派遣されていた附家老などが城持ち城主のこともあります。例えば尾張徳川家の成瀬家(犬山城主)などですね。

 

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犬山城 望楼型・複合式現存天守(1999年5月4日登城)by:photo-ac

 

*「一国一城令いっこくいちじょうれい)

元和元年(1615)年、大坂の陣において豊臣家が滅亡すると、徳川幕府武家諸法度とともに制定した法令です。諸大名に対して、居城以外の城の破却を命じたものです。これにより支城や出城などは廃絶させられることとなりました。以後、原則として新規築城は禁止され、修復も幕府の許可を得なければならなくなりました。福島正則(ふくしま まさのり)のように、無断修復を咎められ、改易になった例もあります。

 

目的は、大名、とくに西国大名の軍事力を削減するためであり、約400の城が壊されたと言われております。大坂の陣(1615年5月)のすぐ後であり、幕府に対する反乱はもちろん、大名同士の戦争も封じるためのものでした。

 

*「正保城絵図」(しょうほうしろえず)

 徳川家光が、正保元年(1644)に全国の諸大名に対して、国絵図とともに城絵図の作成を命じたものです。全国の城郭管理の一環としての行いでした。正保城絵図と呼ばれるもので、現在63ヶ所の絵図が残されています。

 

堀の幅、深さ、土塁の高さ、石垣の高さ、櫓・塀の状況、城下町の町割り、街道など原則として軍事上重要な事柄が詳細に記入されています。御殿などの非軍事的施設は記入されていません。城郭を中心とした軍事施設を主題とした地図です。

 

このことによって、それぞれの大名は、城を中心とした最も機密性の高い軍事上のすべてのことを徳川幕府に把握されることになります。

 

もしも城絵図が実際の建築物と一寸でも違っていることが分かると、その大名は幕府によって所領が没収されたり、お家断絶とされました。そのため、当時の姿が極めて正確に描かれたと考えられます。

 

このことによって、徳川幕府の絶対的な権威を諸大名ははっきりと認識させられたのです。

 

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掛川城パンフレットから by:photo-ac

*「廃城令」

 明治6年(1873)1月14日、明治政府発令の「全国城郭存廃ノ処分並兵営地等撰定方」の略称。廃藩置県を機に、一旦城はすべて陸軍省の財産となりましたが、軍用地として必要なものは存続(天守の存続という意味ではありません)、不要な城は廃城となり大蔵省の財産となりました。存続にしろ、廃城にしろ、天守を始め多くの建物は破却されたか売却されました。

 

こうして廃城を逃れた天守は、昭和に入るまで20基が残っておりましたが、第2次世界大戦の戦火や失火で、広島城水戸城名古屋城大垣城和歌山城岡山城福山城松前城の8基を失い、わずか12基の天守が残りました。それが現存天守と言われている天守12城です。

 

北から順番に紹介しますね。

国宝5天守、あとはいずれも重要文化財です。

 

 

 

*余談

 江戸時代は、「一国一城令」や「武家諸法度」などと、度重なる転封・減封・改易などにより、もはや領国も城も領主(藩主)のものではなく、徳川幕府からの預かりものとなってしまいます。関ヶ原の戦いの後、大幅な転封がありました。そのうえ参勤交代があり、江戸と国元との二重生活が義務付けられていきます。

 

ちなみに、関ヶ原の戦いの後、三代将軍家光までの時代に、外様大名82家、親藩譜代大名49家が改易されました。幕府は改易・減封によって生じた空白地を天領(直轄地)にし、親藩譜代大名を新たに配置して、外様大名を遠隔地に転封するなどして、幕府権力の絶対優位を確立していきました。それだけでなく、転封を繰り返すことによって、財力を削ぎ、土地の勢力との結びつきを薄くし、力を蓄えないようにしています。

 

彦根藩土佐藩などのように明治まで転封のない大名もいましたが、多くの城は城主(藩主)が交代しています。例えば松本城城主(藩主)は6家、掛川城は13家が交代しています。

 

いわば、江戸(東京)の本社から支社長や支店長として赴任しているようなものです。辞令一つで部下を連れて日本全国異動させられたのです。従って、藩主(城主)といえども、常に本社の顔色を伺わないといけない悲しいサラリーマンと同じですから、執務場所の御殿は大事にしますが、天守には見向きもしません。領国の権威のシンボルではあっても、もはや倉庫位にしか価値のない天守は放置されていきます。悲しいことです。

 

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