今回は、島根県の松江城です。別称は千鳥城といい、平山城です。2006年に「日本100名城」(64番)に選定されています。
堀尾吉晴の入封で1611年に完成しました。堀尾氏三代につづいて京極忠高が入城しましたが、断絶しています。そののち松平直政が入封し、松平氏が明治までつづいています。
松江城は山陰地方に唯一現存する天守で、2015年に指定された新しい国宝天守です。さて、国宝の天守は他に四つありますが、全部言えますか?
答えは下の記事に書いておりますので、お時間あるときにどうぞ。↓↓
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初めて松江城に登城したのは、1995年2月26日のことでした。
この年は2月5日に佐賀県の唐津城に登城しています。思いつくままにお城を探訪し始めた初めての年で、2城目の城でした。このころは天守のあるお城しか探訪していなくて、1年間で14城登城しました。元気でしたよね…。
一の門を入って右を見ると、本丸に突然大きな天守が現れます。
標高29mの亀田山山頂部にあるこの天守の、正面に二つの大きな千鳥破風が目に飛び込んできます。天守の左側に廻って見ると、ひときわ大きな入母屋破風が見えます。その姿から分かるように、松江城は一重目と二重目が同じ大きさの二重櫓の上に、三重櫓を載せた後期望楼型天守で、入り口のある付櫓を備えた複合式天守。外観は五重、内部は六階です。
黒く塗られた下見板張りに覆われていて、そのどっしりとした重量感のある姿は、戦国武将の姿を思わせるものがあります。
天守台の石垣は牛蒡積み(ごぼうづみ)。粗野に見えますが、堅固な石垣です。
松江城は、戦国武将の如く極めて実践重視の軍事的配慮が強い城です。天守の中に入ったあとは、石落しや狭間、石打棚(天守の地階の窓から敵を攻撃出来るように設けられたスペース)など、天守の防御のための様々な設備に驚きます。
特に目を惹くのは、付櫓に侵入してきた敵に対して本丸内部から攻撃出来るように鉄砲狭間が切られていること。また、94ヶ所にも及ぶと言われる隠し狭間があり、この狭間は壁面と同じ黒色で塗られた板で外から蓋がされ、外側からは狭間とは見えません。
よく見ると二重目の屋根から大きく出っ張っているのが見えますが、この部分は石落しになっています。隅部だけでなく、このような大掛かりな石落しは、大変珍しいものです。
地階には塩などの兵糧貯蔵庫を設け、火災予防の為に床を敷き瓦にしていて、大井戸まであります。天守内部に井戸を備えた現存天守は松江城だけです。
確認はしておりませんが、1階には人質たちを収容する部屋や4階西側には城主用の厠があるとのことです。これらはすべて籠城戦に備えての造りとなっています。
内外装はとても簡素なものですが、これまで見てきたように細部に至るまで軍事的用途を第一に考えた天守の造りとなっています。城内に植えられた樹木も、椿は刀の手入れ用油、樫は槍の柄、竹は弓の矢、楓は炭用と考えられていたのだと言われていますよ。
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築城者堀尾吉晴は、外様大名24万石の太守で、いつ徳川方に追い落とされるか分かりませんので、このような籠城戦を強く意識した城造りをしたのかもしれません。最上階の望楼から美しい宍道湖や松江市内を一望し、堀尾城主の気持ちになってみてはいかがでしょうか。
平成13年に二の丸の南櫓、中櫓、太鼓櫓が復元されました。縄張りは、本丸から南へ順に低くなって二の丸、三の丸が築かれている梯郭式です。
松江城の公式HPをのせておきます。↓↓面白いので、みてみてくださいね。↓↓
城の北側は塩見畷というところで、小泉八雲が住んでいた住居や武家屋敷が残る観光地となっております。その武家屋敷や天守などを眺めながら、内堀と外堀を約50分遊覧の「ぐるっと松江 堀川めぐり」を楽しむのもよいでしょう。
*松江城詳細
JR山陰本線「松江駅」からレイクラインバスに乗り10分、「大手前」バス停下車
営業時間:8:30~18:30 本丸(4~9月) 8:30~17:00 本丸(10月~3月)
休業:年中無休
参考文献:『別冊歴史読本 城の見方・歩き方―身近な城を歩くためのガイドブック』(新人物往来社 2007年6月1日5刷発行)、財団法人日本城郭協会監修『日本100名城公式ガイドブック』(学習研究社 2007年7月3日第1刷発行)、石井進監修『文化財探訪クラブ 城と城下町』(山川出版社1999年7月25日1版1刷発行)『日本の城 名城探訪ガイド』(日本通信教育者)他